現在の勝興寺を中心とした一帯に、奈良から平安時代末期まで越中国を統治する国府が置かれていた。当時の越中国は能登も含んでおり、その中央に位置する伏木は背後に港や津を控え地理的にも格好の場所であった。天平18年(746)から5年間、大伴家持は国守としてこの地へ赴任している。勝興寺境内に建てられている石碑の付近に国庁があったとされています。